鉄筋コンクリート製から史実へ近づく天守閣
鉄筋コンクリート製から史実へ近づく天守閣。会津若松城・小田原城・大垣城・岡山城・福山城は改修でどう変化を遂げたのか
1/27(月) 7:02配信
FNN
歴史評論家の香原斗志さんの著書『お城の値打ち』(新潮新書)から近年、より史実に近い姿に近づけようとしている各地の城について一部抜粋・再編集して紹介する。
赤瓦に葺き替えた会津若松城
昭和30年代ごろから各地に鉄筋コンクリート造で再建された天守も、このところ、より史実に近い意匠に近づけようという努力が見られるのは、歓迎すべき状況である。
内部の見どころも増した岡山城
昭和41年(1966)に竣工した岡山城の外観復元天守は、令和4年(2022)11月に、約1年を費やした改修工事が終わった。外壁をおおう下見板には、艶やかな漆黒の壁面がよみがえり、最上階の壁面にあった華灯窓も、再建時には省略されてしまっていたのが再現された。
また、内部にも見どころができた。空襲で焼失する前は2階に、床の間、違い棚、帳台構がしつらえられた書院造の城主の間があった。
それが鉄筋コンクリート造の内部に木造で再現されたのである。小田原城天守の最上階のように、往時の空間が一部であっても、視覚をとおして確認できるようになったのはうれしい。
とはいえ、石垣を崩してもうけた地階とその開口部は、以前と変わらず天守の入口として使われている。史跡の状況が、破壊をともなって根本的に改変されてしまうと、もとに戻すのはきわめて困難だという例で、教訓にすべきだろう。
改修でもっとも変わった福山城
改修をへて見た目がもっとも変わったのは福山城天守だろう。この城は昭和41年に再建された際は、戦災で焼失する前の姿と大きく変わってしまっていた。
しかし、令和4年8月の築城400年に向け、その2年近く前から耐震補強を兼ねた改修工事が進められた結果、天守は戦前の雄姿に近い外観を取り戻すことになった。
最大の変化は、北側の壁面に鉄板を張り、この天守の最大の特徴をよみがえらせたことだった。
鉄板も天守と一緒に焼失したため、これまで、その形状はもはやわからないと考えられていた。ところが、福山市内にその一部が保存されており、小さな鉄板をすき間なく張り合わせていたことが判明したため、再現することが可能になったのである。
また、北面以外の窓も、これまですべて白く塗られてしまっていたが、窓枠や格子に銅板が巻かれていた戦前の色彩に近づけられた。
最上階の華灯窓も、焼失した天守と同じ位置に移され、真壁の柱もこれまで白かったのが黒く塗られた。廻縁の高欄、つまり手すりも、これまで寺社建築のように赤く塗られていたが、元来の黒っぽい木調になった。
細かな指摘をすれば、いろいろある。
窓枠や格子をおおっているのは、戦前のような銅板ではなくアルミであるし、最上層の真壁には木材は使われず、コンクリートで柱のように造形し、彩色しているだけである。
とはいえ、天守のプロポーションも破風の形状も、昭和41年に再建された当時のままなのに、こうして意匠をあらためただけで、印象がはなはだしく変わることに驚かされる。見た目だけでも元来の姿に近づいたことは、素直によろこぶべきことだろう。
香原斗志
歴史評論家、音楽評論家。日本古代史から近世史まで、幅広く執筆活動を行う。主な著書に『教養としての日本の城』など。
香原斗志
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お城に限らず 例は多いが、和弓などを挙げると 時代とともに 洋弓 銃 ボウガンなどに変わった時代があったが、神事に保存されてきた。のちに武士道,武道精神として和弓が復興され 再び原初の形や文化として復興している。 そういう流れを経て それがあったことが保存されてきた功績は大きい。
それを含めて 見直す記事を書かれた筆者は素晴らしいと思う。

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